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ここではウフィッツィ美術館の数ある絵画のなかでも主要といわれるものピックアップ。
ウフィッツィ美術館は年代にしたがって13世紀後半からルネッサンスへと移っていきながら、絵画を見学。
ほとんどの絵画のテーマはキリストやマリアといった宗教的な要素をもったもので日本人からするとすべて単なる宗教画で終わってしまいそうだが、それぞれの作品、それぞれの作者によって表現、主張内容や技法の特徴が実は異なっている。
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近代ヨーロッパで最も歴史のある美術館とし知られるウフィッツィ美術館だが、もともとはジョルジョ・ヴァザーリの設計でメディチ家コジモ1世のために1560年から1580年にかけて建設されたもので、最初の目的は13の行政の機関、つまり英語のオフィス(イタリア語でufficioウッフィーチョ、ここから名前がとられた)を置くためのものとしてであった。フランチェスコ1世の要望により(おそらくコジモ1世がすでに考えていたと思われるが)1584年ベルナルド・ボンタレンティによりメディチ家所有の貴重な彫刻や絵画を収める部屋、トリブーナを作った。これが美術館の原点である。こうしてフランチェスコ1世と彼の弟で継承者のフェルニナンド1世らによるもののコレクションが始まった。ギャラリーとしては1591年ごろから希望により見学ができた。ボンタレンティ以外にアルフォンソ・パリージもヴァザーリの死後、建設にたずさわった。またその他1586年にはフランチェスコ1世のために劇場も作られ、後にいろいろな用途に使用された。
この建物の建設計画は16世紀のフィレンツェにおいて都市計画、記念建造物の観点から見て非常に大胆なものであった。それは今現在のヴェッキオ宮殿と現在の美術館の間にあった1068年に奉納されたロマネスク様式のサン・ピエル・スケラッジョ教会をも壊しての計画だった。この教会の存在は美術館の内、外側の壁に埋め込まれるように残る柱から今でも見ることができる。
建物の様式は安定感があり頑丈なドリス式で、素材は当時、法律で統治者のみに使用が許されていたメンソラ渓谷のグレーの石材が使われている。またアルノ川沿いという立地条件からも高度な建設技術が要求された。
現在絵画が展示されている3階部分はもともとはオープン形式の回廊であったが、絵画、彫刻等のコレクションにより現在のような形になっていった。

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ウフィツィ美術館内について
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ウフィッツィ美術館に入るとすぐにセキュリティーチェックがある。ウフィッツィ美術館内は写真撮影、ビデオ撮影が禁止されている。絵は手の届く距離で見ることができるが、絵の前に簡単な鉄のバーがありそれを越えるとセンサーによりブザーがなるので注意。また廊下に置かれている彫刻などには手を触れないように。
ウフィッツィ美術館には地下におおきなトイレ、3階の出口に向かう扉から階段を下りてすぐに小さなトイレ。
コの字型の一番奥にはバールがあり、ちょうどランツィの回廊の上がテラスになっているのでドゥオーモとその後ろにあるフィレンツェの丘の写真撮影もできる。ここが唯一写真撮影のできる場所。
1階出口部分には美術館の書店があり、もちろんどこよりもウフィッツィ美術館に関しては品揃えが豊富。
また1階出口手前には小さいが郵便局の窓口があり、すいていることもあり切手なども選べる。
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