ヴィーナス誕生(1485年)  サンドロ・ボッティチェッリ

この作品についてはいろいろな解釈があるが、まずテーマを古代神話からとり、絵を描くときのテーマは愛と知性といわれている。絵の内容は見たとおりで、海の泡からヴィーナスが誕生し貝に乗って風に吹かれて陸に向かって行く。
このヴィーナスが海から誕生するのは、洗礼の際に水によって新たな生命が誕生することを関係づけている。
人物の配置を見るときれいに4人が、広げた扇のなかにおさまっているように見える。その中央にヴィーナスが位置している。
ヴィーナスは女性の単なる美の表現ではなく、つまり肉体的というより精神的ものといえる。この裸体は質素さ、純粋さ、飾り気の無いことを意味している。そして自然は水、空気、地と表現されている。
この作品では彼は自然と人間を美化している。美化とはこの場合非現実的、ファンタジックな表現方法、つまり新プラトン主義である。
まず自然を見ると風の神ゼフィロスのマントが空想的になびいている。そして海の波が実際の波と違って、白い線で柔らかく繊細に連続して描かれている。
次に人間をどのように美化しているか見た時、ヴィーナスが1本の線で途切れなく表現されているのがわかる。顔からすぐ真下に首が出て、肩が横にではなく顔、首からそのまますべり落ちるかのように下に向かって描かれている。またヴィーナスの右腰あたりから腿、膝足、つま先にかけて途切れ無く描かれている。このことは人間の本来もっている筋肉や節々を取り去って美化していると言える。
そして最後にヴィーナスが非常に憂鬱な印象をあたえているのがわかる。彼女の視線ももちろんだが、ヴィーナスが首を曲げ、腰を曲げた状態で立っている。このポーズは人が憂鬱な時に何気なくするポーズであるが、誕生という喜ばしいテーマがついているにもかかわらずなぜかと言うと、ヴィーナスは誕生したと同時に世の中のはかなさを十分承知しているためと言われている。

春(1482年) ボッティチェッリ 

この作品も古代神話から題材をとり、愛と知性をテーマに描いているといわれている。
まず作品を見るときには向かって右側から見ていく。
風の神ゼフィロス(右端の青い人物)がフローラをつかまえようとし、彼らから春(PRIMAVERAプリマヴェーラ)が誕生する。そしてほぼ中央には愛、生命の源の女神、ヴィーナスがいる。ヴィーナスの立つ位置はそれまでの絵画の様な遠近法を使わず、平面的な表現で一段高いところにいることから、この国はヴィーナスによって支配されていることが読み取れる。彼女のすぐ上には愛のシンボルのキューピットが飛んでいて、彼らの横には3人の女神達がダンスを踊っている。女神達は互いに手をつなぎ輪を作るように見えるが、これは調和を意味している。最後に繁栄と平和のシンボルのメリクリオスが雨雲を追い払っているのが見える。これはこの作品のテーマである春に雨雲はそぐわないためと言われている。
この作品でも人物配置が計算されているのがわかる。
例えばキューピットの矢の向きをたどると、左端にいるメリクリオスの右足のつま先に向かっている。キューピットの左手のこぶしの角度で線を引くと、同じ角度で斜めに曲げているヴィーナスの顔を通り、ヴィーナスのひじ、プリマヴェーラの腕、フローラの右手、右足と一直線上に並んでいるのがわかる。
またそれまでには無いリズミカルな人物配置になっているのも特徴的である。つまりヴィーナスを頂点にし、波を打つように人物達が配置されている。
また自然を美化しているのが確認できる。人物の足元を見ると、多数の草花描かれている。これらは今現在もフィレンツェの周辺で見られるや約500種類が彼の丹念な観察により忠実に描かれている。しかし、どこを見ても踏みつぶされたような草花は見当たらないのがわかる。このことから自然を美化して表現しているのがわかる。
先に多少説明したようにこの作品では遠近法が使われず平面的な表現方法で描かれているが、ただ空間を表現するのに、絵の下の部分には濃い緑の草花を、上の部分にはまた濃い緑のみかんの木を描き、その間に青空を描くことにより非常に風通しがよい印象が感じられ、また同時にそのコントラストによって空間性を表現している。

ジュディッタ(1470年)

ユダヤのヒロイン、ジュディッタがまさに敵の首を取って帰る姿が描かれている。
人物を前面に置き、また非常に現実的な動きを表現し、そしてその背後に広がる自然の中に戦いのシーンが細かく描かれているが、これはポッライオーロの影響を受けていることも読み取れる。
二人の人物はお互いに、前後あたかも絡み合うような動きをしているのも特徴的である。
柔らかい風によりできる多くのひだを服に描かれているが、この数多くのひだにより本来の体の動きがはっきりとわからないように見える表現方法がとられ、その結果人物の安定感や一歩一歩の足の動きを不確かなように見せている。何よりも憂鬱でかつ空虚ささえも感じてくる。つまり敵の首を討ち取るという勇気ある行動も、また過去、現在、未来という歴史さえも無意味なものなのではないかと言うメッセージにも感じられる作品である。

東方三博士の礼拝
(1475年)

この絵は宗教的なテーマではあるが、実際にはメディチ家の肖像画が描かれている。